蛍光アゼルバイジャン

Fluoresce Azərbaycan

人間不信の人誑し、電通社員のセックス論

 

先週1週間で5人の女の子と遊んだ。昨日もクラブで多少ナンパした。けど誰ともセックスしなかった。できなかった。私、天下のチンポ広告代理店・電通の社員としては大変残念な限りである。クロージング力がないのもあるが、もっと自分の中で別のものがそれを阻んでいる気がしている。

 

先般、性感染症に感染した。クラミジアである。

なんかチンコに違和感を感じてはいた。小便をする際に尿道に痛みを感じたりもしていた。違和感を感じ始めた頃にクラブでチンコ出して友人にハイネケンを浴びせられたせいかとも思ったが、1週間ほど前に生セックスしたセフレ(マスコミ業界1年目)からのLINEで全てが明るみになる。

「なんか変になってない?大丈夫?笑」

 「変になってない?」ではない。なんの心配なのか先に言えマンコビッチ。掘り下げるとどうやらこの頃言い寄られている彼女持ちドチンポ代理店マンから「風俗でクラミジアもらってた」との連絡が来たらしい。はい解決。コナンも正座。

翌日即病院。4年目のトレーナーに「性病になったので得意先ついでに病院行ってきます」とLINE。既読スルー。落ち込む。1時間後に「クズだな(笑)了解」との返信。しばらく部署の男性間で「性病」が流行語となる。1週間後、検査結果。クラミジア、陽性。承知致しました。大変お手数お掛け致しますが、何卒宜しくお願い申し上げます。株式会社電通、ちゃそ。

後日同期会があったが、全く私から性病の話をしていないのに性病の話してる奴ばっかりで笑った。同期の大体の男は性病経験者であった。全社の健康診断にHIV検査を課すべきだと強く願う。

 

性病の話はまあいいんだ。もう治ったことだ。しかし性病の原因となったセフレとは事実上関係を絶ってしまったし、新しいセフレができる気配もいまのところない。欲求不満が続く。

ノーセックス地獄の中で座禅を組んで、なぜここまでセックスがしたいのか、できないのか、その相手は不特定多数でなくてはいけないのか、「付き合う」という大変面倒な手続きを踏まえてもある程度好きにセックスできる1人を確保する方がいいのか、そもそも「付き合う」とは一体どういうことなのか、など久しぶりに錆びついた本来の出来の良い脳味噌を回転させて考えた。すると2つの大きな病気が見えてくる。

 

まず1つ目の病気は「1人に絞ることができない」ということだ。大変上からな言い方をすれば「彼女候補」の女性は何人も居るが、そのどれにも絞りきれない。それぞれに申し分のない良いところがあり、それぞれに好ましくない一面もある。人間として当然のことだが、そこに妥協できずにいる。

こうやって客観的に考えればまあ彼女などできるわけねーと思った。自分自身の悪いところにも妥協できていないのだから、他人の悪いところに妥協できないのだろう。

 

2つ目は、1つ目に共通することかもしれないが「どこまで行っても満足できない」ということだ。私は小学生の頃いじめを受けていた時期があったし、中学生の頃も何かと目の敵にされやすい人間だった。自分の行いがアレだったから当然といえば当然ではあるものの、その頃自分の奥底に染み付いたコンプレックスは非常に深い根を張り、私の人格の根幹を為すまでに至った。

私はいじめを受けていた当時、なんとしても私をコケにした奴らに復讐することに誓った。その心の傷があまりに強烈だったせいか、私は現在でもなお、私に嫌な思いをさせた全ての人間への復讐のために生きている。恐らくその鬼気迫る負けず嫌いのお陰で、一般的に一流と言われる大学も卒業できたし、一般的には上流階級の代名詞である「電通」という会社に入社できた。

しかしそのコンプレックスへの復讐によって得たものでは、結局どこまで行っても満足することはできないのである。電通に入ってこの上ない喜びを得ることができているかといえば決してそんなことはなく、どんな世界に行っても上には上がいるものである。社内の環境に上がいるのであれば、国内業界一位であることなどさほど意味を為さない。社外に出た時だけの話だ。

きっと私が女の子を1人に決めきれないこと、飽くなきセックスを求めることでさえも、過去の「モテない自分」への復讐であり、それでたとえ無数の女の子、未だかつてないエクストリームセックスを得ることができたとしても、私はきっとそこに妥協することはできないのである。それが復讐によるものであるならば。

私の回りにいる人間もそうだ。何かの鬱憤を晴らすようにセックスに狂う者が非常に多い。同期であったり、友人であったり、ツイパコマンであったり。きっと誰もが猛烈なコンプレックスを抱えて、その鬱憤晴らしで人誑しに走るのであろう。なんとも逆説的なセックスである。それでお互い幸福なのであれば、何も問題はないのだが。

 

性欲地獄座禅の中で私は、必ずどこか自分の意志で「妥協」する必要があり、「自分の幸せはこの程度のものだ」と納得することができなければ、きっとどこか寂しい幸せしか得ることができないのだろう、と感じた。

たとえ先ほど述べたようなクラブナンパ同期やツイパコマンであっても、「これが俺の私の得られる幸せだ」と肚をくくっているのなら、そのセックス狂いはこの上ない幸せなのだろうし、くくりきれていないのであればどこか空白の残るものになるのだろう。少なくとも私はくくりきれていない。何故なら、もはやその行き場をなくした「コンプレックス」そのものに、もっと強烈に復讐できる手段に飢えており、妥協できない精神状態に無意識のうちに放り込まれているからである。

私の行き場をなくしたコンプレックスのかたちは「過去への復讐」であり、それに意味を見出だせなくなっていることを自覚した時点で、全ての復讐劇を終えることができる。それがきっと現状を打開する最善の手段なのだろう。そう自分の頭ではわかっているが、まだ逃れることはできていない。まだコミュニケーションが上手でない「現在の自分への復讐、あるいは克服」を意識してしまうためである。

 

ひとまず私の性欲地獄からの解脱のために、「他の女の子を諦め、1人の女の子と付き合う」というところから始めたい。勢い余って「諦める力」という本を買った。まだ読んでいない。本を読むことの諦めは簡単につくものである。

 

空白セックスにはもう飽きているし、空白のまま空白セックスを追い求めても本質的には何も満たされない、ということには気づいた。その先のことには私にはまだ分からない。

だが「あーやっと君も気づいたのね、私はそんなこと気づいていたよ」と言う奴(何故か女の割合が非常に多い)には決してなりたくないものである。得てしてそういうやつほど実際には、何かを諦めて復讐をやめる決断をした訳ではなく、単に復讐に狂う自分から逃げているだけなのだから。

 

 

ZAZEN BOYS_CRAZY DAYS CRAZY FEELING ...